院長ブログ

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2026.01.27更新

 

 

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思ようにならないとすぐにカリカリする、不機嫌になる、カッとなる、怒る、車を運転しているときなどもすぐにイライラする人、いますよね。

それは自己愛が強いせいなんです。精神的に未成熟ってこと。

優先順位をつけるのも段取りをつけるのもできるのですが、予定通りにコトが運ばなかったり、自分のペースを崩されてしまったように感じて余裕をなくしてしまうんですね。つまりエネルギー満杯状態で余裕をなくしている。

この手のタイプの人は、対人関係に問題が起こりやすいんです。コミュニケーション能力とイマジネーション能力が十分に発達していないから。やや発達障害かもしれないと思われる人も中にはいます。

人間が、成熟するということは、他人の立場や感情を理解できるということ。

すぐカリカリしてしまうのは性格的な要素もあると思うけれど、50過ぎたらもう変わりません。そう思ったほうがいいと思います。変わらない人のためにイライラしていたら、こっちがまいってしまいますから損ですよ。

実は昔はそういう男、たくさんいたんですよね。それでも、日本の女性は賢いので女性が寛大に受け入れていい子いい子していた、上手にコントロールしていたんです。最近の女性はそんな面倒なことはしません。お母さん役はしたがらない。自分も忙しいから面倒を見きれないんですよね。

こういう男性は、ダメ人間というわけではなくて、案外、自分のやるべき仕事や能力に秀でていることが多いから、社会的に破綻のないようにバランスをとっているんだよ、説明してあげることにしています。

 

 

 

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院長 高橋龍太郎著書『仕事も人間関係も「いっぱいいっぱい」にならない方法』より抜粋

 

 

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投稿者: 医療法人社団こころの会 タカハシクリニック

2026.01.13更新

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自分が本当にやりたい仕事だったら、どんな職場環境であっても頑張れる。

そう言いきれる人は、もしかしたら人間関係が恵まれた環境でしか働いたことがない人なのかもしれません。

もちろん強い意志を持ち、周りの人ともそこそこ上手につきあえる人もいますけれど、どれだけ多くの人が仕事内容ではなくて人間関係で会社を辞めていることでしょう。クリニックにいらっしゃる患者さんの悩みのなかでも、かなり上位に入ります。

もともと日本の会社は家族主義的な「会社は家族、社長は父親」でやってきたので、終身雇用で安定してきました。しかし第三世界の安い労働力と対抗して業績を上げなければならなくなると「成果主義」が言われるようになりました。しかし、成果を評価する上司は純粋に成果を評価する力はなく、家族主義的な情実にからめとられています。

これではどちらもうまくいくはずがありません。今の会社は多様な価値観が混在するカオス状態なのです。人間関係がギスギスするのもやむを得ないとも言えます。

職場のストレスの大半は人間関係と言ってもいいでしょう。

それは若い人にも、中高年の人にも言えることで、双方とも「話が通じない」と断絶を痛感し、心にモヤモヤしたものを抱えていることが実に多いのです。

職場環境の人間関係からくるストレス、不安定な雇用形態から生じる不安感など、働く人々を精神的に追い詰める要素が満ちあふれているというのが現在の日本の姿です。

心身の不調を覚えて心療内科や精神科を受診する人が増えて当然でしょう。

生真面目な性格の人の場合、職場でつらいことがあっても我慢してしまい、なんとかして自分の役割を果たそうと、限界ギリギリまで頑張ってしまう傾向があります。そのために疲労困憊して、うつ症状をこじらせてしまいがちなのです。

責任感が強いため、少し休んで症状が改善すると、すぐまた出勤して頑張ってしまいます。そこで症状がぶり返し、悪化していくケースは多々あります。

最悪の場合は、自殺に追い込まれる、なんていう結果にもなりかねません。

 

仕事から人間関係から生じるストレスは、一晩寝ただけで回復するようなものではありません。回復する間もなく翌日また出勤してしまえば、ストレスも疲労も蓄積していくばかりです。

 

 

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 院長 高橋龍太郎著書『仕事も人間関係も「いっぱいいっぱい」にならない方法』より抜粋

 

 

 

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投稿者: 医療法人社団こころの会 タカハシクリニック

2025.12.29更新

会社で失敗したことを上司に報告しなくちゃいけないときとか、「言わなきゃいいことをつい言ってしまって、大切な友人との関係がぎくしゃくしてしまっている」とかありますよね。何かハッキリと嫌なことがあって気持ちが晴れないということもあるし、特に大きな理由は思いあたらないけど、なんとなく漠然とした不安感の中で憂うつということもあると思います。

この憂うつを一瞬にして吹き飛ばすというのは、なかなか難しいけれど、すごく簡単でもあるんですね。

「憂うつをどうしたらいいですか?」と言うような人は、実は普段憂うつに慣れ親しんでいない人なんです。憂うつ慣れしていないから、憂うつの対処法が分からない。でも、こういう人のちょっとくらいの憂うつなら、そんなに時間がかからず必ず治ります。

 

もう一方、憂うつがいつも日常化している人は、ちょっとくらいの憂うつはそんなに憂うつじゃないわけ。「憂うつな状態」に慣れているから、憂うつの免疫ができているというんでしょうか。

もっと分かりやすくいうと、普段お腹をこわしやすい人が、海外旅行に行ってお腹をこわしても、それは特別ビックリすることじゃなくて、日本にいるときと同じように、またお腹こわした・・・と思うのと同じこと。

「憂うつ」に慣れていない人が、憂うつを怖がるわけ。だけど、憂うつが初めての人は必ずすぐ消えるんです。だから憂うつをそんなに怖がることはない。

最後に、感情にも、損益分岐点があることを忘れないで下さい。

うつにとらわれると、それが六、四の割合くらいで、たいしたうつでなくても、うつ一色になってしまう。でも、六、四くらいだったら、あと一か二、気持ちが明るいほう移動しただけで、今度は六、四で気持ちが明るいほうにどんでん返ししてしまう。うつから、明るい気持ちに変化させるのは、大変な努力のように見えるけど、ほんの一押しですむことなんです。これが感情の損益分岐点。うつといっても大したことないでしょう?

 

 

 

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院長 高橋龍太郎著書 『人生にはしなくてもいいことがいっぱいある』より抜粋

 

 

 

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投稿者: 医療法人社団こころの会 タカハシクリニック

2025.11.25更新

つらくて、どうにもこうにもできないとき、楽しそうにしている人を見て「ああ、あの人はいいなあ」と思ったりすることがあるでしょう。

でも「毎日楽しくてしょうがない。私は生まれてきて良かった」なんていう人は、じつはいないのです。多くの人は、生きるために努力が必要だろうし、人生で起きる、いろんなことは、「苦しみの連続」とまでは思わないけれど、「楽しさではないものの連続」なのではないでしょうか。その中に、一つ二つ、何か光るのもとか、自分にとって楽しいものが見えたときに、その絵柄が全部「ドーン」とひっくり返って「生きててよかったなあ」って思えるのではないでしょうか。

なんだかんだ言いながら、あんまり楽しみのない人生だと思っていたのが、どこかで輝き始める。それは有り体に言えば、子どもが生まれたときのような、なにか大きな変化、あるいは小さいながら変化が積み重なって、全部が「コロッ」とひっくり返るようなことが人生には隠されているということです。考えてみてごらんなさい。毎日楽しいと思っている人はいつのまにかそれに慣れてしまい、毎日楽しいなんて思えなくなるのです。

そういうときのために常日頃心構えしておくことが私たちには必要なんです。そのときにそれを逃すと、なかなかまた出会うまでに何年もかかるという話になってしまうかもしれないし。ただ、そうなってしまうとあまりに悲しいですけれど。

ですから「生き続けるということ」の中にじつは、楽しさも含めた人生の何らかの真実が隠されている。これは、最初に分かっておいてもらいたいことかもしれません。

そうでないと、若い人が「二〇歳にして朽ちたり」というような感じで、二〇歳くらいで「もう人生面白くないスよ。もう生きててもしょうがないから、死んでもいいですか?」と言ったりするんですよね。二〇歳くらいの年齢ってそういうポーズを決めたがるから、そういう驕りみたいなことは許されないわけではないけれど・・・・・。

でも、それについてなんらかの形で意見する大人とか、それに反対する同じ世代の若者とか、そういう対立の中で揉まれていけばいいのです。けれど、全然揉まれないまま、本当にそれで「三〇歳になったら老人」のような感じでただただ、身過ぎ世過ぎで生きていく、ということになるのでは悲しすぎると思う。だからそこを少しだけ変える。何かちょっとした差なんだけれど、その差をうまく理解してください。

 

 

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院長 高橋龍太郎著書 『人生にはしなくてもいいことがいっぱいある』より抜粋

 

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投稿者: 医療法人社団こころの会 タカハシクリニック

2025.10.14更新

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ペコペコ頭を下げて謝るのは立場の弱い人、立場の強い人は滅多なことでは謝らない、という意識が私たちの脳裡に染み付いています。

ですから、会社でも部下が上司に謝るのはごく自然のこととして受け入れられ、上司が部下に謝ったりするようなことでもあれば、社員たちはびっくりして大騒ぎになることでしょう。

しかし、本当なら、上司が部下に謝るべき場面というのはけっこうあるんです。

たとえばの話、課長が部長の指示通りに仕事を進めたけれど、トラブル続きで暗礁に乗り上げてしまったときなど、部長は自分の指示ミスを認めて一言謝罪しても良さそうなものです。「悪かった。こうなってしまったのは私に責任がある」ってね。まず一言謝ったうえで、「今後はこうしよう。頑張ってくれよ」と言ってほしいものです。

それなのに、自分に責任はないとばかり、頭ごなしに部下を叱りつける上司が多すぎやしませんか。あなたの会社でも、理解のない上司に泣いている人がいるのではないでしょうか。

そんなとき部下は、面と向かって上司を非難することなどできやしません。それでも多少は言い訳なんかもしたりして、その言葉の端々に上司の責任を問うような雰囲気がにじみでることもあるのではないかと思います。

そこで上司が「俺はそんなことを言った覚えはない」と居直ったりしたら、部下はどんな気持ちになるでしょう。「チェッ、仕事がうまくいけば自分の手柄にするくせに、うまくいかないときは人のせいにするんだもんな。やってらんないよ!」と頭にきますよね。

そのうえさらに部長が逆ギレして、「俺が指示したのと違うことをした。失敗したのはお前のせいだ」と責めたてたら、部下は窮地に立たされます。

部下に対して理不尽な態度をとる上司は尊敬に値しないということは確かなのです。

張り切って仕事をしている部下の能力を認め、「おまえのやりたいようにやってみろ」と励ましたり、部下が何か失敗すれば、「任せておけ。俺がカバーしてやる」と後始末をかってでたりするのが理想的な上司のありようだと思います。

部長なら部長というそのポジションを、会社なり社会なりがきっちり保証してくれるシステムにならない限り部下の前でいいカッコをしたくてもできません。そう思うと、何があっても断じて謝ろうとしない上司がいても、その理不尽な態度の裏側に潜む「弱味」みたいなものが見えてきて、少しは許せるような気もします。

私たちは、そんな弱味を抱えた上司を反面教師にしていけばいいのだと思います。「いくら部長だ課長だといったところで、謝ることもできないんだな。かわいそうに」と心中ひそかに同情してあげましょう。そして自分は、謝るべきときにはきちんと謝ることのできる人間でありたいと自分を高めていくことが大切だ、というのが私の持論です。

謝ることでお金がかかるわけでもない。だから気楽に謝ってしまおうと思える人のほうが、謝ることもできない人に比べて、はるかに生きた心地がするのもです。

 

 

 

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院長 高橋龍太郎著書『「謝る力」が器を決める』より抜粋

 

 

 

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投稿者: 医療法人社団こころの会 タカハシクリニック

2025.09.30更新

明日にならなければどうにもならないことなのに、気になってしかたがない。この気になっているのが時間の無駄だ、と思っても、心配でしかたない・・・というような人も、いつまでも「オフ」にならない人。いつも「オン」になっちゃう人。

時間に追われるということは、いつも交感神経が過剰に興奮しているということだから、ストレスが癒やされることがなくなってしまう。たまる一方になってしまいます。

そういう強迫的な傾向も日本人に割と特有なんですね。日本では、そういう性格というのは「よし」とされてきたんです。農耕民族的な社会の中では、そういうふうに正確に、几帳面に、自然に合わせて毎日畑を耕して、毎日休みなくというのがいいわけだから。そういう几帳面さが日本には染みついているところがあって、ストレスを抱えやすいんです。

日本の中では、沖縄のようなところは、カメルーンに似ていて、沖縄タイムという有名な言葉があるように、いつと約束しても、そのときには始まらない。「始まらない」ということの豊かさですよ。これが人生を楽しむことになる。

やはり暑い国の人のほうが時間にルーズで、寒い国の人のほうが、そういうのにきっちりしていますよね。

その理由としていちばん大きいのは、暑いところは、黙っていても飢え死にしない。天然に実っているバナナでも食べていれば、極端な言い方だけれど、収入ゼロでも生きていけます。そういう中で生きている人はそんなに厳しく時間を守らなくても、生きていける。飢え死にすることはないから、死ぬことはないわけ。

生きていく上で、時間通りじゃない豊かさを味わえるのはいつ頃でしょうか。多分、若者の時代と年をとって引退してからしかないでしょう。その贅沢さを忘れないでください。

青年〜中年以降の人たちには働く時間は限られているので正確に時間を守って生きるしかないのです。

残念ながら時間に縛られてしまう中高年の人は、とにかくオンとオフの切り替えを忘れないでください。会社が終わってからも会社の人と酒を飲んで会社の話をするなんて、愚の骨頂です。

この限りある無駄に過ごせる時間を貴重に思ってください。一時間〜二時間の時間のズレなど気にしないで済む。ゆったりとした永遠の時と一体化する。こんなに解放されるときはないでしょう。

 

 

 

 

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院長 高橋龍太郎著書 『人生にはしなくてもいいことがいっぱいある』より抜粋

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投稿者: 医療法人社団こころの会 タカハシクリニック

2025.09.09更新

 

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「つまらない」とか「楽しくない」と思ってしまうことも、実は悪いことばかりじゃないんです。

というのも、傷つかないで済むから。ある意味では心理的な防衛になるんです。「すっぱいぶどう」みたいなもので、「あれはすっぱいから、最初からいらなかったんだよ」と言えば傷つかないで済みますよね。だから傷つけられたくない若者たちが「つまらないから、やらない」と言って、どんどん行動を起こさなくなってしまう。だから「つまらない」という人は自分は傷つきたくないと言っているのですね。でも傷つくような勝負をしなければ、いつまでたっても何も見えてこないし、何の関係も見えてきません。

プロポーズしなければ、結婚できるかどうかも分かりません。

気づいたら始まっていたというような理想的な関係もあるかもしれないけれど、「付き合って」と言ったり、デートに誘ったりしなければ、恋人関係になることなんかないわけですから。

すべて同じことで、何もしなければ人間関係もモノとの関係も、会社、社会との関係も始まらないんですね。

自分が防衛的になっていて、時に逃避的な気分になる、というのももちろんあります。当たって砕けろ的になんでも正面からぶつかっていけとは誰も思っていないし。そういうのはこの時代にはエネルギーロスが大きいかもしれないから。だけど、三回に一回くらいは巻き込まれてみなければ、ものは見えてこない。巻き込まれるというのは、そういうこと。

「つまらない、つまらない」と言っている人は、巻き込まれずに、遠方から眺めているだけの人が多いんです。

例えば、W杯。チケットが取れるか取れないか分からないけれど、とりあえずスタジアムに行ってみるとか、インターネットで三日間パソコンをたたいてみる、とかね。そういう

行動を起こす人と「どうせキップ手に入らないでしょ、テレビで見てればいいよ」と言う人とは、全然違うわけ。向こうに行って大観衆と一緒に「わーっ」て応援して、その中で日本が負けたのとでは、それは得るものは100倍違うでしょう。

つまらないって言えば、やっぱりつまらないものしか得られない。言い続ければ、言い続けるだけ、そう言うものしか得られないんですね。

だから「つまらない」と言い続けている人は、どうしてそんなに自分は傷つくことを避けているんだろうかって、考え直したほうがいいでしょう。なんで、そんなに打たれ弱いんだろうかって。

 

院長 高橋龍太郎著書 『人生にはしなくてもいいことがいっぱいある』より抜粋

 

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投稿者: 医療法人社団こころの会 タカハシクリニック

2025.08.19更新

 

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30代、40代なのに、「なぜか物忘れが激しくなった」なんてことはありませんか。

あるいは、上司に指示されたことが頭に残らないとか、「あの件、まだ片付いていないのか。やっておいてくれと言ったはずだぞ」と怒鳴られてはじめて思い出すとか、仕事の納期直前になって気づき、焦って頭の中が真っ白になるとかいうこともあるかもしれません。

その原因は、脳の記憶装置をフル活用していないからです。

たとえば、頻繁に連絡をとる相手の電話番号や、1週間のスケジュールなど、昔ならすべて頭に叩き込んでいたことも、今はすべてパソコンやスマホに情報を入れ込み、あとは忘れてしまうので、記憶が脳に定着しにくくなっているのです。

私自身、かつては10〜20件の電話番号を記憶していたのに、今は自分の電話番号くらいしか覚えていません。それだけ頭を使わなくなっているのです。

 

人間は本来、とても高い記憶能力を持っています。『古事記』に書かれている内容をすべて記憶し、口承していたという稗田阿礼のような人が特別なのではなく、誰でも本を1冊くらいは暗唱することができるのです。

昔は自分の頭で記憶していたことをスマホや携帯に入れるから記憶として定着しない。ストレージ(スマホや携帯、タブレットなどでデータを保存しておく外部記憶装置のこと)が装置としてできあがると人間の脳は働かなくなっちゃうんです。

そういう傾向が若い人に増えています。本来なら使える脳の機能を、外部のストレージに預けているので、脳が働かなくなる。 記憶すべき重要な事柄が頭から抜けてしまうんですよね。

だから「これ、やっておいてね」と言われても、その直後にスコーンと抜けちゃう。

締切1時間前になって「まだやってないのかー」と言われて頭真っ白でいっぱいいっぱい・・・・・そういうビジネスシーンでも山ほどあるのではないでしょうか。

 

頭をあまり使わずに年をとると認知症になりやすい、という研究報告もあります。

パソコンやスマホといった「外付け脳」は本当に便利なものですが、何もかも「外付け脳」に任せてしまうのは危険です。大切な情報をパソコンやスマホに入力し、忘れてしまった場合に備えておくのはいいのです。

でもせめて、自分と家族の電話番号、誕生日、この先1週間の予定くらいは、パソコンやスマホを見なくても言えるようにしておきたいものです。

 

 

 

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院長 高橋龍太郎著書『仕事も人間関係も「いっぱいいっぱい」にならない方法』より抜粋

 

 

 

 

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投稿者: 医療法人社団こころの会 タカハシクリニック

2025.08.05更新

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終戦直後の焼け野原で、物がない時代。それこそ娯楽なんて数えるほどしかなかったような時代に、「つまらない」なんて、誰も言うこともなかったように思います。

そう考えると、今我々が持っている「つまらなさ」というのは、現代の「豊かさ」と決して無縁ではないように思うのです。

楽しいことを求める時の「楽しい」というのは、何かが地にあって、その平坦なところから、くっきり浮かび上がったものが初めて「楽しい」となるんですね。他の時代、他の人と比較してみて、どれをどう取り上げても今は楽しいはずなのに、地が全部同じモノであれば、楽しくなんかありません。

私たちが生きている時代は、まったくその通りで、目立ったものが浮かび上がってこない時代なわけです。だから、いつもつまらない、いつも同じことばかり起きていて、どうやって生きていったらいいか分からない。あるいは、毎日が過ぎていくのが虚しい、というようになってしまうんです。

では、私たちは日本の、あるいは世界の歴史の中で、そんなにつまらない、それこそ「生きていてもしょうがない時代」を生きているのでしょうか。

いや、豊かで、楽しさを求めた究極の姿が、現代なはずです。

 

 

 

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院長 高橋龍太郎著書 『人生にはしなくてもいいことがいっぱいある』より抜粋

 

 

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投稿者: 医療法人社団こころの会 タカハシクリニック

2025.07.22更新

 

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職場で同僚が忙しそうにしていると、つい自分もつられて、一心不乱に仕事の取り組み、あっという間に仕上げてしまった・・・なんていうことは、ないようでいて意外とあるものです。ふと気づいたら無我夢中になっていた、なんてね。

それと同じように、上司が動揺すると部下も落ち着きをなくし、仕事が手につかなくなる、ということが実際によく起きて、問題になっています。

「あの部長でさえ顔色を変えているのだから、よほど大変なことが起きたに違いない」と、部下は不安になって焦ってしまうのです。

 

人間は人の間と書きますね。人は人ひとりで成り立っていない。人と人の間に人間は成立している、という意味なんです。

部長と部下の間に存在している微妙な空気のなかに、その会社の人間たちが存在しているんですね。

ですから、部長が顔色を変えると、その部下との間に存在している人間が動き始める。動揺や緊張がその場、人と人の間を支配し、みんなが「いっぱいいっぱい」になる。

そうだとすると、誰がその場のいっぱいいっぱいを解いてあげないといけません。

もちろん部長本人が、自分からいっぱいいっぱいを解けるようなリラックス法を身につけていれば問題ないのですが、真面目な部長に限ってその場の緊張を高めるだけということがおうおうにして多いものです。

そんなときは、誰かが道化役をかってでて、

「部長、そんなにテンパってどうしたんですか」

「みんな気持ちをラクにしましょう。ハイ、ラジオ体操第一!ジャンジャカジャジャン!」

等と相の手を入れるくらいの職場が理想的な職場だといえますね。

道化役、トリックスターは何も宴会芸だけ必要とされるのではなくて、こんなときにこそ出番なのです。

「いっぱいいっぱい」にはユーモアで立ち向かう、これも立派な対策といえます。

周囲の影響を受けて、自分までドタバタする必要はないのにドタバタしてしまう、なんていうことのないようにしたいものです。

 

 

 

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院長 高橋龍太郎著書『仕事も人間関係も「いっぱいいっぱい」にならない方法』より抜粋

 

 

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投稿者: 医療法人社団こころの会 タカハシクリニック

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