いつもいつも「忙しい忙しい」と言って、何かに追いたてられている人がいます。こういう人は、ヒマだと罪悪感を感じてしまうんですね。ある意味、マジメというか。
自分を追い詰めてしまう人は、ある種の「べき」論から入ってしまうわけ。
「べき」論というのは、「こうあるべきだ、こうじゃないといけない」というある種の定規を持っていて、自分の本来の一日の感じとか、自分の能力、自分の持っている自分らしさとは全然関係なく、周りから与えられたような物差し・錆型に自分を当てはめようとする。
そういうタイプの人は、何をやってもいつも、まだまだ足りないんじゃないかなと思ってみたり、満足感がなかなか得にくい。本来であれば一日の中でいちばん調子の良い時でも、自分でわざと不快なもの、不快な物差しをぶつけて、持ちあがっている感情をゼロに落としてしまう。そうすると、気持ちの良いのはゼロに落として、気持ちの悪いのはそのままだから、全然救いがない。だから、全然楽しくない。負の中和法ですね。
多くの日本人は、このタイプなんです。言ってみれば農耕民族型。正確に時を刻んで季節に合わせて、周りに自分を合わせていくというような。
例えば野球は農村型でしょう。守備をしっかりして、最小得点でも勝つのがいいと思ってきた。要するに投手がよくて守備をしっかりすれば、いずれ勝てるというゲームです。
でも現実の世の中は、みんなサッカー型。守備だと思っていたら、いきなりディフェンスのいちばん後ろの人がいちばん前に行ってシュートをボーンと入れる、ということがあるわけです。だから、周りの変化に合わせて自分の気持ちをうまくコントロールして、状況に合わせて得点を重ねていけるような人のほうが、気持ちの良い時代になってしまったんですね。
昔はそういう人は定職にもつかず、「あの人何やってるの?」という感じに言われたりした。よしんば就職しても、こらえ性がなかったり、何を考えているか分からないと言われたり。農耕民族から見ると「得体の知れない人」と思われていたけれど、世界で生きている人は、むしろみんなサッカーのような狩猟型人間たちです。言葉をしゃべらなくてもみんな互いに考えていることが理解できるような世界になってきている。
毎日自分を少しでも楽しくさせて生きていくということが、基本的には必要。それには、外に向かうアンテナも必要だし、自分の内側、体と心に向かってアンテナを張り続けるということもものすごく重要。自分の体と心が気持ちいいと感じるものにいつも敏感であること。これが自分の内側に張ったアンテナの受けとるものであることも忘れないように。外と内、自分のアンテナを意識し続けるということが、すごく大事ですね。
院長 高橋龍太郎著書 『人生にはしなくてもいいことがいっぱいある』より抜粋
高橋院長のひと言
「べき」論で困って、いつも同じ役割を担ってコツコツ続けることに喜びを見い出せる人は、これまではよかったかもしれませんが、これからのインターネット時代は、情報が即時に世界中に伝わる世界。
仕事も毎日の楽しさも、世界の人と共有できる喜びこそ、若い人達にめざしてほしいものです。
タカハシクリニック 院長 高橋龍太郎