「つまらない」とか「楽しくない」と思ってしまうことも、実は悪いことばかりじゃないんです。
というのも、傷つかないで済むから。ある意味では心理的な防衛になるんです。「すっぱいぶどう」みたいなもので、「あれはすっぱいから、最初からいらなかったんだよ」と言えば傷つかないで済みますよね。だから傷つけられたくない若者たちが「つまらないから、やらない」と言って、どんどん行動を起こさなくなってしまう。だから「つまらない」という人は自分は傷つきたくないと言っているのですね。でも傷つくような勝負をしなければ、いつまでたっても何も見えてこないし、何の関係も見えてきません。
プロポーズしなければ、結婚できるかどうかも分かりません。
気づいたら始まっていたというような理想的な関係もあるかもしれないけれど、「付き合って」と言ったり、デートに誘ったりしなければ、恋人関係になることなんかないわけですから。
すべて同じことで、何もしなければ人間関係もモノとの関係も、会社、社会との関係も始まらないんですね。
自分が防衛的になっていて、時に逃避的な気分になる、というのももちろんあります。当たって砕けろ的になんでも正面からぶつかっていけとは誰も思っていないし。そういうのはこの時代にはエネルギーロスが大きいかもしれないから。だけど、三回に一回くらいは巻き込まれてみなければ、ものは見えてこない。巻き込まれるというのは、そういうこと。
「つまらない、つまらない」と言っている人は、巻き込まれずに、遠方から眺めているだけの人が多いんです。
例えば、W杯。チケットが取れるか取れないか分からないけれど、とりあえずスタジアムに行ってみるとか、インターネットで三日間パソコンをたたいてみる、とかね。そういう
行動を起こす人と「どうせキップ手に入らないでしょ、テレビで見てればいいよ」と言う人とは、全然違うわけ。向こうに行って大観衆と一緒に「わーっ」て応援して、その中で日本が負けたのとでは、それは得るものは100倍違うでしょう。
つまらないって言えば、やっぱりつまらないものしか得られない。言い続ければ、言い続けるだけ、そう言うものしか得られないんですね。
だから「つまらない」と言い続けている人は、どうしてそんなに自分は傷つくことを避けているんだろうかって、考え直したほうがいいでしょう。なんで、そんなに打たれ弱いんだろうかって。
院長 高橋龍太郎著書 『人生にはしなくてもいいことがいっぱいある』より抜粋